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電車の中のパーソナルスペースという「見えない聖域」の話 ―なぜか通勤で、どっと疲れる理由―

毎日の通勤。
別にトラブルがあったわけでも、仕事が特別ハードだったわけでもない。
それなのに、電車を降りる頃には「なぜか、ぐったり疲れている」。

 

それ、もしかしたらパーソナルスペースという「見えない聖域」が、じわじわ侵されているせいかもしれません。

 

私は毎日、片道およそ1時間かけて通勤しています。JR、地下鉄、そして時には新幹線。

 

正直に言うと、新幹線に乗っている時間は、かなり気が楽です。
座席が一人ずつ分かれていて、自分のスペースが物理的に守られているから。

 

一方で、地下鉄や在来線の長いベンチシート。
ここでは、目に見えないけれど確実なストレスが、静かに積み重なっていきます。

 

そんな中で、 今日は私が毎日の通勤で感じている、 言葉にしづらいストレスについて、 少しだけ書いてみたいと思います。

この記事には、プロモーションを含みます。

身体が触れる、その「一線」を超えられる瞬間

誰かに強い怒りを感じるわけではありません。
でも、こんな「あるある」に心当たりはありませんか?

  • 隣の人の肘が、こちらの領域にグイッとはみ出してくる
  • 大きく開かれた足が、自分の足にピタッと密着する
  • 眠ってしまい、気づかないうちに肩にずっしり寄りかかられる

 

きっと、その多くは無意識。
疲れているだけ、眠いだけ。
頭ではわかっています。

 

でも、モヤモヤとした気持ちが残る。

衣類越しに伝わってくる他人の体温。
関節を圧迫される感覚。


逃げ場のない座席で、自分がさらに体を縮めて「小さくなる」しかない瞬間。

声をかけようと思うこともあります。


けれど、その後の気まずさやトラブルを想像すると、なかなかできません。

結局、自分が体を縮めて、さらに小さな「聖域」に閉じこもることになるのです。

「あ、これ、私だけじゃないんだな」と思う瞬間

ふと向かいの席を見ると、
同じように肩をすぼめて耐えている人が目に入ることがあります。

 

そのとき、少しだけ救われたような、
でも同時に、切ないような気持ちになります。

 

「仕組み」が守ってくれる安心感

なぜ新幹線は、あんなに快適なのでしょうか。

 

それは乗客のマナーの問題だけではなく、
最初から「境界線」が引かれているからだと思うのです。

 

座席の間のひじ掛け。
一人分として独立したシート。

 

この物理的な仕切りがあるだけで、
私たちは「侵しすぎない・侵されすぎない」という安心感を得られます。

 

一方、在来線のベンチシートには、その区切りがありません。
一人ひとりの感覚や良心に委ねられる分、
誰かの「楽」が、別の誰かの「苦」になってしまう。

 

そんな状況が生まれやすいのだと思います。

 

ほんの数センチ、その意識で変わるもの

「できるだけ楽に座って、目的地までたどり着きたい」
そう願うのは、きっと誰もが同じです。

 

仕事前から余計な疲れは溜めたくない。
移動中くらいは、少しでも心穏やかに過ごしたい。

 

でも、その思いは自分だけのものではありません。
隣に座っている人も、同じように疲れを抱えているはずです。

 

だからこそ、特別なマナーというより、
ほんの少しの思いやりと想像力があればいい。

  • 肘を必要以上に張り出さない
  • 足は自分の席の幅に、軽く収める
  • 座るとき、隣に「人」がいることを一瞬だけ意識する

 

それだけで、
誰かの「地味にしんどい1時間」は、
「少し穏やかな1時間」に変わるかもしれません。

最後に

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

 

これは声を上げるほどのことではないけれど、
確実に、少しずつ心が削られていく、毎日の実感です。

 

もしこの記事をご覧になられている皆さんのなかにも、通勤電車の座席で
「これ、地味にしんどいな……」
と思ったことがあれば、ぜひコメントをもらえると嬉しいです。

 

そしてこれは、自分自身への戒めでもあります。
私の座り方も、知らないうちに誰かの「聖域」を侵しているかもしれない。

 

完璧にはできなくても、
少し意識するだけで、空気は変わるはず。

 

毎日の通勤が、あなたにとって
少しでも気疲れの少ない時間になりますように。

irohana.hateblo.jp

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